------- 01 : おはよう
『現世』で死んだのは、雪深い山中だった。
その当時では珍しくもない、口減らしのための死だった。
何にも望まれずに、生まれたわけではない。
ただ、生まれたその時代と環境が、自分の生を疎ましく感じさせるものだった。
まだ『現世』で生きていた頃。
両親は優しかったし、兄や姉達も素直に好きだと思える時期があった。
だから、口減らしに捨てられると分かったときも、妙に悟りきってしまっていた。
自分がいなくなることで苦しみが減るのなら、それでもいいと。誰の負担にもならないように死のうと。父親が雪深いその場に自分を残して山を降りるそのときも、泣き喚きもせず、ただいわれるままにその場に座り込んだ。
戻る道も意識して歩いてきていた為、分かっていた。だが、それでもその場に、雪深いその場所で彼は眠りに落ちた。
……それで、全てが終わるのだと思っていた。
だが、気が付いたら『死神』によって、尸魂界に放り込まれていた。
ご丁寧なことに、死んだ後も流魂街という集落で人々は暮らしているという。血のつながりのない他人同士で、模擬的な家族すら形成する事もあるのだと。
だが、自分は普通の人は持ちえない『霊力』というものがあるらしい。それがあるせいで、普通の魂魄なら感じることのない空腹を覚えるのだと知った。
それを知ったとき、再び自分がこの世界でも『食』を必要とする、疎まれる異質な存在である事を悟った。
だから、今度は誰にも手を伸べる人など作るまいと。頼ることなくいようと心密かに誓った。
誰に頼ることなく、負担とならないように。そんな繋がりなど持つまいと。もう二度と、誰も苦しめまいと。自らが傷つくまいと。
仮初のものだと温もりに背を向け、一人生きていくことを願った。
あの、拒む事すら恐れず、伸ばしてきた手を知るまでは――
……て。
遠くで、音がする。
……お…て……ん
まるで針のように細い光が刺してくる。
聞こえてくる、切れ切れの聲。
「起きてっ、日番谷くん!」
ばさっと勢いよく布団がはがされて、糸のようだった光は容赦なく強い光となって視界に飛び込んできた。反射的に目をいっぱいに見開き上半身を起こす。次いで得物を探して手を伸ばしかけて。
「……あ」
視界に現れたものと起き始めた認識能力とで、日番谷は動きを止めた。間近にある黒髪と、いつもよりつり上がり気味の藍の瞳。
「雛……森?」
夢との境が判然とせず、数度目を瞬く。眠りが深すぎた為か、取り巻く環境を把握するまでに時間が掛かる。
結果、まだ目が覚めず呆けているとでも思ったのだろう。鋭い叱責の声が目の前の口から飛び出してくる。
「もう! 朝から会があるのも忘れてたの? 早くしないと遅刻しちゃうよ!!」
唐突に帰る現実に、忽ちのうちに夢の残滓は押しやられていく。
代わりのようにぐいっと差し出されるのは、見慣れた死覇装と白の羽織。勢いに飲まれて反射的に受け取ると、その間にも雛森の言葉は続く。
「忙しいのは分かるけど、死覇装のままで寝てたら疲れなんて取れないでしょ? 休むときは休まなきゃ駄目っていっつも日番谷君が言ってるじゃない」
腰に手を当て、一息に。説教も一区切り付いたところで、ようやく日番谷は当然の問いを発することが出来た。
「何でお前がここに……」
「乱菊さんに頼まれたの! いつもならちゃんと一度隊室の方によってから定例会に行くでしょ。この時間になっても姿が見えないからって、乱菊さん心配してたよ」
めっ、とまるで出来の悪い弟を叱るように雛森は額に指をおく。
その扱いは気に入らなかったが、今回ばかりは一方的にこっちに非があるため反論も出来ない。
「悪かった。後で松本にも言っておく」
素直に謝れば、雛森も「うん」と頷いて。それから、ほっと息を吐いた。
「……なんて。最近顔色が悪い気がしたから、あたしが勝手に来ただけなんだけどね」
そうやって表情を緩めて、初めて雛森は笑った。心なしか瞳の奥に心配するような揺らめきを感じて、鈍く胸の中央が痛む。
しかし、それを長く感じさせる間もなく、ぱんっと雛森は手を叩いた。
「じゃあ、あたしも定例会あるから先に行くね」
たっ、と軽い足運びで雛森は立ち上がり戸口へ向かう。その背に向かって「ああ」と日番谷は一声かけた。
「慌ててこけるなよ」
「そんなにドジなことしないもん! 日番谷くんのほうこそぼーっとしてたら遅刻するんだから!」
べーっと、子供っぽく舌を出しす姿を片手をひらひらさせ追い払う。
事実、さして時間はないのだろう。足早に引き戸を開けて外に出ようとした雛森の足がつっと止まり。
出かけた戸口で雛森は「あ」と口に手を当ててくるりと振り返った。中途に押し広げられた入り口から、まぶしい光が部屋の中に差し込んでくる。
それを片手を挙げ光を遮る日番谷の前で、雛森は「忘れてたけど」と一瞬躊躇うように目を泳がせてから、焦点をぴたりと日番谷と合わせた。
「おはよう」
今更かもしれないけど。ばつが悪そうに肩をすくめて笑う、雛森の顔を眩しく思って日番谷は見上げる。
こうやって当たり前のように、目覚めの挨拶をくれる相手を手放す事など、もう二度と思えない。この温もりを失うことなど出来はしない。
ちりりと、警告するように脳裏に夢の残滓が現れる。だが、日番谷は気にすることなくそれを振り払った。
確かに存在する過去という名の事実とそこで感じた恐怖は、捨てることも消えることもない。
だが……
「……おはよう」
そう言える相手を失うことを望むことは、もう二度とない。
光を遮る為に上げていた手を下ろし、日番谷は挨拶を返した。
今日もまた、言い合える相手のいる一日が始まる。
2004/09/07 初出 【出雲 奏司】