------- 02 : 呼吸
呼吸を、意識してすることなんてなかった。
意識しなくても出来る事が当たり前でのことで。
……それならば。
意識して、出来なくなってしまったら
どうすればいいのだろう――
名前を呼ぶだけでも、酷く骨が折れる。最近は二人きりになると、いつもそう。
「ひつ、がや……くん……?」
酷く擦れた声で、目の前にいるその人の名前を呼ぶ。呼吸を奪われてばかりで、上手く、声が出ない。
いつからだろう。
こんなにも、その存在を感じるだけで息苦しくなって、呼吸がままならなくなったのは。
少なくとも、前はこんな事はなかった。それどころか、多分、誰よりも傍にいて気を張らずにいられた。肩書きが重くなってしまってからも、気にすることなく馴染んだその存在は、それこそ空気のようで。当たり前のように寄り添って、傍にいて……
今だって、その気持ちが変わったわけじゃない。傍にいられることが、いやなわけでもない。
近づいてくる一挙手一投足が、なぜだか酷くゆっくりに目に映る。
じっとりと、汗ばんできた手のひらで、死覇装の裾をぎゅっと握った。
真っ直ぐよりも少しだけ下方にある碧の瞳に、射竦められる。変に頭がぼうっとして細かい震えが背を伝う。
ああ……そう。『目が怖い』と感じるようになったのも多分、最近になってから。怖い、というのも少し違うかもしれない。ただ、普段見ていた瞳と少し違う、少し熱を帯びたような真剣な眼差し。その目で見つめられると、まるでその鬼道によって縛られたように動けなくなる。
いやな怖さじゃなくて、ただ、息苦しい。
「……雛森」
名を呼ばれるのと同時に肩を掴まれて、ぐっと引っ張られて。そのまま少し斜め下に……日番谷くんの方に飛び込むように体勢が崩れてしまう。低くなった視点のせいで、真正面からあたしの姿を閉じ込めた碧の瞳を直視する事になって、ますます動けなくなる。
それでなくても、触れられたその箇所に全身の血が集まるみたいに、酷く熱くて。鼓動がそれまでの比でないくらいに、煩く騒いでしまうのに。
顔に手をかけられて、色濃さを増す顔にかかる影。逃げるように伏せた目は、そうなってしまえば完全に閉じてしまうまでそれほど時間はかからなくて。視界が閉ざされて、代わりのように、近づく呼吸音と触れる感触に酷く敏感になってしまう。
震えてしまうのは怖いからじゃない。でもそれを伝えるにも、呼吸すらあたしの体は満足にしてくれなくて。意識すればするほど呼吸の方法が分からなくなって、水の中で溺れているよう。
かさついた感触を唇に感じて、多分それまでで一番大きく身体が揺れる。呼吸の『方法』どころか『する』のも忘れて、閉じた目に映る色まで赤だということに泣きそうになる。幾度か啄むように触れた後、『みたい』ではなくて本当に呼吸を奪われて。
「んっ…………」
その熱さと息苦しさにもう殆ど残ってない両手足の感覚を、かき集めて力を込めた。
* * * * *
「っ…………!」
呼吸を奪って、かすかに震えさえ起きているその体に触れる。その瞬間、びくりと大きく手の内で跳ね、ぎゅうと死覇装を握る柔らかな手が、痛々しいほどに力を込められ白くなる。
怯えるように震えながら、しかししがみつく様にこちらの羽織と死覇装を握って。相反するその所作に、嗜虐心が煽られ愛しさもいや増す。
容赦なく口内を犯しながら、薄く目を開け見える雛森の顔は、既に秋の紅葉にも負けぬほどに染まっている。日のもとであれば眩しい光を宿す藍の瞳も、今は固く閉じられ、苦しいのか酷く眉を寄せながら、目尻に雫を溜めている。その表情に、日番谷は更に求めそうになる自己を抑え、引き剥がすように唇を離した。
けほっ、と一度むせるように咳き込んだ後、口を半ばまで開けたまま雛森はせわしなく肩を上下させる。それと同時に、気が緩んだのか死覇装を掴んでれていたはずの手が緩み、外れる。ずるずると下降する体を、背に回した腕に力を込め支え引き寄せれば、力の抜けた細い身体は容易に肩口に沈み込んだ。
普段と逆転する視点の高さにに、満足して目を細める。
そうしてかるく解れた髪に手を置き、手に掛かった髪を纏めている藍の紐をひくと、それはするすると解けた。
「あ……」
頼りなげに上げた声と同時に、ぱさりと艶やかな黒髪が零れ落ち、松葉色の布が滑り落ちる。
潤んだ目で見上げる雛森の前で、肩に滑り落ちた一房を手に取り口付けて見せれば、やや落ち着きつつあった肌の赤みが、再び染まりかえる。止めてほしいと抵抗するように、力が抜けていたはずの腕を胸にぶつける。しかし弱々しいそれは、ぽんぽんとまるであやすかのよう。造作も無く片手で封じて、仕返しとばかりに耳元に唇を寄せた。
「どうした?」と耳元近くで囁けば敏感に反応し、ぎゅっと首と肩を縮こませる。
名の通り雛のように他愛ない、可愛らしくもあるその仕草。
幾度睦み合っても慣れず、余裕の無いその姿に深い安堵を覚え、同時にそんな己に嫌悪する。
今雛森の意識にあるのは間違いなく自分だけだと。暗く滲むように広がる、薄ら寒く恐ろしいまでの独占欲。他の誰をも雛森の中に置きたくないなど。
ずっと見ているだけだった以前は、その心を得られぬことに幾度も息のつけぬ思いに苛まれた。その心を得られれば、通じ合えれば、この息苦しさも消えるのだとずっと思っていた。
だが、望む心を得られたであろう今も、傍らに居ないだけで呼吸はままならなくなり、砂を噛んでいる様な不快感が消えずに纏わり付く。
近づけば近付くほどに、その更に先を求め、満たされることを知ることがない。
余裕など、欠片もありはしない己の幼さに嫌気がさす。
暗い独占欲が自らの余裕の無さに付け入り暴れようとする。そして、結局抑えきれず求めてしまう。
どちらのものともなく濡れて妖しい光沢を持つ紅い唇に呼吸を求め、噛み付くように再び重ねた。
* * * * *
もう、どこにも感覚なんて残っていなかった。呼吸する事を忘れて幾度も深く重ねられる接吻は、ぬるま湯の中で溺れているようで。朦朧とする意識の中不意に感じた浮遊感の後、気付けば背には冷たい寝所の感触があった。
火照った体と背にある冷たさがあまりにも違って、ぶるりと一瞬身体が震えた。
何とか目を開けて、見ることをしようとする。
「あ、の……ひ」
いつの間にか滲んでいた涙のせいか、それとも近すぎる距離のせいか。合わせようとしていたはずの瞳は上手く焦点が合わずにぼやけたまま。それなのに、綺麗で鋭い碧の眼差しだけは、酷くはっきり頭に染み込んで、告げようとしていたはずの言葉が奪われる。
縋った時にか、いつの間にか崩れた襟元に気付いて。慌てて直そうと伸ばした手は目敏く見つけられ捉えられた。首筋に髪の触れるのを感じると同時に、鎖骨のあたりに痺れるような痛みを感じて、ぎゅっと目を閉じる。
間近で見上げる表情は、笑っているはずのに酷く辛そうに見えて。さっきまでの息苦しさとは、また違う痛みが雛森の胸に圧し掛かる。
「だい、じょうぶ?」
知らず知らずのうちに顔に手を伸ばして、触れる。びくりと日番谷くんの身体が揺れて、熱い息が手に掛かる。
「雛、森」
見上げる瞳は酷く苦しげに揺れていて。それがどうしてか分からなかったけれど、安心させたくて。どうすれば良いのか分からないまま、あたしはぎこちなかったかもしれないけれど笑ってこくんと頷いた。
「うん」
ぴたりとくっついた肌を通して、初めてその鼓動の速さを知る。
……日番谷くんもあたしと同じなのかもしれない。そう思うと、なんだか安心して。さっきよりも呼吸がずっと楽になる。
「だいじょうぶ、だよ?」
* * * * *
『だいじょうぶ、だよ?』
その声が胸に落ちたとたん、淀み呼吸を邪魔していたものが解けるように消える。
自分のほうがよっぽど、苦しげに喘いでいるのに。辛そうにして見せているくせに。全てを包み込むように、柔らかく微笑を浮かべる。
そう、いつも人を、相手を……自分の方ばかりを思い遣って。そしてそうやって向けられる優しさに甘えて、溺れてしまう。
「……自分の心配しろよ」
紡がれる声を待たず、再び互いの呼吸を奪って。
己の幼いままの所為だと言い訳して、その温もりと柔らかさに溺れた。
……本当にごめんなさい(内容・意味不明・甘さ含め色んな意味で)我に返ったほうが負けです。負けなんです!!(錯乱)
主に夜中書いてちょこっと見直し(吐血・むしろ拷問)ヤバそうなとこは極力削りました。
雛が可哀想で、シロちゃんが気障でクサくて、何度キーボ−ドやディスプレイ破壊しそうになったり壁や机殴ったりして投げ出そうとしたことか……ふふふ……(遠い目)
「不憫なシロちゃんへのプレゼント♪」とか言う前に私が撃沈ですよ。くそっ、こうなったら当分不憫なものしか書かないからなっ……!(八つ当たり)2004/09/18 初出 【出雲 奏司】