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 その想いをなんと呼ぼう。
 祈るように頑なに守り続ける、その想いは。


------- その呼び名は


 軽く癖のついた豊かな髪と、同じくらい豊かな胸を惜しげもなく晒して廊下を歩く女性が一人。腰にまわされた帯に下げられた百合の紋様と『十』の字を描かれた腕章は、十番隊の副官であることを示すもの。
 彼女――松本乱菊は新たに処理を待つ書類を抱えて、隊長――日番谷冬獅郎の待つ執務室へと長い廊下を心持ち早足で進んでいた。特別急ぐ用ではないのだが、すぐに残業へとつながりかねない程度の忙しさであるのだ。
 今頃、置いてきた未処理の書類を崩しにかかっているだろう隊長を思って執務室の方向を見上げると、窓枠にひじを突いてよそを見ている見慣れた姿を見つけて、松本は思わずその形のよい眉を顰めた。この忙しい時に何をしているのかウチの隊長は。
「たい……」
 文句の一つでもかけようかと口を開きかけて、松本は一点を見つめる隊長の表情に動きを止めた。
 見下ろす姿は常のように眉間に皺を寄せたものではなく、一見本来の外見年齢相応に近い幼さを残すもの。しかしそこに浮かぶ表情は、とても相応とは言えない落ち着きさえ感じさせる、深く穏やかな笑みだった。
 何を見ているのか、とその穏やかな碧の瞳の先を失礼かと思いつつ辿ってみれば、つややかな黒髪の上で松葉色のお団子が揺れる、春の陽射しを運んで来るような笑みを浮かべる少女。そしてその少女が見上げるのは、白羽織に『五』の字を背負った、黒ブチのレンズの奥で、やはり穏やかな微笑を浮かべる男性。
 共にある姿は、傍から見ても互いに対する信頼と思いやりに満ちており、確かに微笑ましいものと映る。
 だが、それはあの隊長にとっては……
 解せない思いと一緒に両手の書類を抱え直して、松本は再び早足で執務室へと足を向けた。

「十番隊副隊長松本乱菊です。只今戻りました」
「入れ。ご苦労さん」
 許可を得るのも程ほどに、松本は中からの返事とほぼ同時に執務室の戸をさっと横に滑らせた。勝手知ったる自隊の執務室である。本より形式に拘れるほどの生真面目さもなく、そんな忙しさでもないが。
 体の大きさにまるであっていない執務机の上で、茶をすする小さな隊長の姿を見つけて、松本はてきぱきと用件を告げる。
「新しい仕事の書類と、報告書の追加分です」
「おう。そこら辺の机の上に置いといてくれ」
 言われた通りに、まだ辛うじて空きのある机の上へどさっと景気のいい音を立て書類を置くと、ぴくりと元から吊り上げられている眉が、更にその傾斜を急にする。
「……いくらでも湧いて出るな」
 ちょっとばかり休んでも意味がありゃしねえと、まだ残っていた数枚の書類を手にし、いつも通りに眉間に皺を刻む自分の上司に向けて、松本は軽く爆弾を落としてみる。
「息抜きをしていたのなら声をかければよろしかったのに」
 見てらしたんでしょう? あの子。と、その言葉は疑問系というよりは断定的。
 ぽんと、軽く放られたそれが、何を指しているのか分かったのだろう。日番谷は眉間の皺をくっきりとした色濃いものとしつつ書類から目を離すと、正面よりやや右にいる副官を横目で睨み上げた。
「お前か。誰かコソコソこっち見てるヤツがいると思ったが」
「こそこそなんて人聞きの悪い。ちょっと見えただけですよ」
 慣れぬ者であれば竦みあがるその眼光の鋭さも、それなりに付き合ってきた副官はものともしない。物怖じせず松本はぽんぽんとその魅惑的な唇を滑らせる。
「挨拶程度したってばちは当たりませんよ」
「用もないのにか? 話に割り込んでまでする必要はねえだろ」
「そうかもしれませんけど、あの子なら喜んで笑って手を振って返しますよ」
 それはむしろ、言われている本人の方がよく分かっていらっしゃるでしょうに。
 目は口ほどにものを言うとばかりに、睨み上げてくる碧の瞳を悠然と見下ろす。これではどちらが上司か分かったものではない。
「……松本」
「なんですか? 隊長」
 納得できるだけの答えが来なければいつまでも食い下がろうとする副官の気配に、日番谷は溜息と共に書類を卓上に置いて。目を伏せて淡々と言葉を紡いだ。
「俺は」
 だがその単調な声音に反して、顔に浮かぶのは酷く穏やかな表情。
「アイツが笑っていられるならそれが誰の隣だろうと構わねえ」
 それが見られるだけで十分なのだと。
 告げられた言葉の横で、息を呑む音が零れる。それに構わず日番谷は自嘲的な笑みを浮かべて、副官を見遣った。
「大体俺ら死神にそんな感情は不要だろうが。変な気ィ回すんじゃねえよ」
「でも、隊長にとってあの子は……」
 出された言葉を遮るように、日番谷の手が少し前まで春の微笑みを映していた背後の窓の襖へと伸ばされる。
 それはまるで、手が届くのは、届かせるのはここまでなのだと宣言するように。
「同僚で……幼馴染。それだけだ」
 ぴしゃりと襖を閉める音と共に、そこで会話は終わらせられる。
 ふっと、鋭く息が日番谷の口から流れて。 
「オラ、分かったらお前もとっとと手を動かせ。残業でもするつもりか?」
 からかう様に笑う表情と瞳には、先刻あった柔らかさも慈しみも、自嘲も残ってはいない。碧の奥にある色は、"天才児"の名を欲しい儘にする隙のない鋭さばかり。
「……はい。失礼致しました」
 それ以上の何を言うこともできず、松本は目を伏せて言われるままに自らの仕事に取り掛かった。

『アイツが笑っていられるならそれが誰の隣だろうと構わねえ』

 気付いていないのだろうか、それとも気付いていてなお、それでも願っているのか。僅かに漂っていた痛みを耐えるような色は、最後まで消えることがなかったことに。
 不器用で、あまりに一途なその想いを思って、松本は日番谷に気付かれぬようそっと密やかに溜息をついた。


 恋と呼ぶには、その思いはあまりに重くて、大切過ぎて。
 呼び名を知らぬ想いは、ただかの人を見守り続ける。
 ただその笑顔の曇らぬように、柔らかな陽だまりの翳らぬように。

 なんと呼ぼうか。この、想いを。
 






 とりあえずウチの日番谷の基本はこんなかんじで。WJ21〜26号(129〜133話)読んでたら「あんたどんだけ雛森のこと大事なんだよ!!」と言いたくて言いたくて。とにかく大騒ぎ&悶えながら書いていたもの。でも上手く書けなかった……_| ̄|○
 なんか恋とかそんなもの超越してる気がしますよこの人……て言うか恋と言ってしまうには生温いというか。どこまで一般の天才児らしからぬ老成さと純粋さだ。
 そして十番隊隊長副隊長の関係、五番隊とは別ベクトルで上司と部下の理想形で好きですー。(どさくさ)

2004/06/06 初出  【出雲 奏司】

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