「何でこういうことになんだよ!」――と叫びそうになるのを、十番隊隊長・日番谷冬獅郎はぐっと耐えた。
いや、正確には何度も耐え続けていた。場所は十番隊執務室。各隊の隊室は主に伝令、雑務――まあ面倒だったり煩雑なものがもとより集まる場所ではあるが……
この日担ぎ込まれた目の前に積み上げられた問題の量は、現在日番谷にとって過密に過ぎていた。
------- 疑問の裏側
ケチのつき始めは、まず副官である松本が持ち込んだ書類の山だ。
珍しく煩雑な仕事の量も質も少なく、このまま仕事が来ないようなら早目に切り上げるかと思っていたところ、そろそろ夕刻が近づこうと言う時になって、パサなどと可愛らしい音ではなく、ドスンドスンと書類が置かれ始めた。
はじめこそ午前暇だった分のツケでも来たかと何も言わず放っていたが、流石に処理が追いつかないままに視界を狭めるほどになってくるとそうもいかない。とうとう机の上に書類の囲いが完成しようかという時
「おい、松本」
ひやりと、冷たい霊圧と共に声が落ちる。完全に据わった声に、それだけで何が言いたいのか分かったのだろう。溜息交じりで、松本はどうやら最後らしい書類の束を片手に持ち、開いた片手で髪を掻き揚げた。
「アタシに文句言わないでくださいよ」
「だがどう考えたってこの時間にこの数は異常だろーが!」
バンっと叩く机の上には、書類処理の為に必要なスペースと何とか書類一山を置けそうな程度の空きしかない。周囲に積み上げられた書類の量は、軽く半日分はある。
「どうも上の方の処理がおかしかったみたいで、ウチの書類が他隊に殆ど紛れてたんだそうです」
それを各隊のものが申告してきて、収集してまとめて運んで来たらこうなったと。
「そんな馬鹿なことが……」
「あったんですからどうしようもないじゃないですか」
呻く日番谷にぴしゃりと松本が言い切る。確かにその通りの言葉に、日番谷は急に重さを増したような額に手を当てる。どんなに文句を言おうと現実は変わりはしないのだ。
「これ、全部今日中か?」
「はい、今日中です」
「……今日は残業だな」
「ええ。アタシはいませんがサボらないで下さいよ」
「ああ……って待て! 何でお前が……」
いきり立つ日番谷の鼻先に、ピラリと一枚の紙が突きつけられる。
「『出動要請』……?」
「『副官以上の者が必ず一人同行すること』だそうです。まさか自分が行くなんて言いませんよね? 隊長」
とっさに口を開きかけると、必要以上に威圧感たっぷりの霊圧と視線が降る。反射的に言いかけた反論の言葉を、日番谷は苦々しく喉の奥に押し込んだ。呻くように、認めざるを得ない事実を口にする。
「……副官の承認・署名がなくても、隊長の署名や承認のいらん書類はそうねえからな」
「はい、よく出来ました。それじゃ戻ったらまた伺いますけど、出来るだけ片しといてくださいね」
つまり帰ってから手伝うとかいった期待はするなということか。まあ早く帰れるかも分からない者を宛てになど、もとよりしていないが。
「それでは、お願いしますよ」
松本は疲れの滲んだ口調で言い置いて。腕に担いだ最後の書類が、どすんと音を立てて僅かに残っていた日番谷の視界を書類で潰した
それだけでも、十分すぎるほどに忙しい。いや、忙しすぎるほどの状況だったのだが。
勤務終了時刻をとうに過ぎ、日も姿を消し星々の明かりが目立ち始める頃。
大げさでもなんでもなく山とあった書類も着実に消え、ようやく終わりの兆しが見え始めたところで日番谷は軽く息を吐いた。
さっきまでは処理にばかり頭が行ってしまい、ひたすら仕事そのものに愚痴を吐いていたが。しかしここまで来ると、冷静になればなるほどいい加減腹も立ってくる。曰く、『元々事務の手違いのくせにどうして俺がとばっちりを受けた挙句、その尻拭いまでしなきゃなんねーんだ』、『大体松本も松本だ。こんな時ぐらい出動要請なんざ他隊に回してやれってんだ!』
ぶつぶつと言う言葉の終わりで思いっきりよく判を押す。多少ずれようが知ったことか。
「よーやく残り一山か……」
短時間で酷使した目を閉じて軽く伸びをし、再び書類へと意識をやって。
ふと、何者かがこちらへ近づいてくる物音に気付く。何者かといっても、こんな時間にこの場所に来るような者は一人しかいないが。
やがて部屋の前まで来て立ち止まったそれに向かって、日番谷は書類から目を上げぬまま声をかけた。
「松本。開いてるからさっさと入れ」
「……乱菊さんじゃないけど入っていい?」
『とっとと手伝え』……と続けて言いかけた口がその場で固まる。がばっと、勢いよく頭を上げた先にあるのは、思っていた人物より背が小さく、黒髪と松葉色のお団子の目立つ頭に藍色の瞳の――――
「雛森!?」
……かくして、ある意味日番谷にとって書類の山よりも面倒な問題が飛び込んだ。
「部屋の方に行こうと思ったんだけど、日番谷くんまだ戻ってないって言うし」
口をパクパクとさせる日番谷の前で、混乱を巻き起こした当の本人は頓着せずににこにこ話す。
「そしたら乱菊さんも出ちゃってるって聞いたから、忙しいだろうなって思って」
はい、これ差し入れだよ、と差し出される茶菓子を何とか受け取る。
差し入れはいい。だが
「何で俺の部屋に用があるんだよ!?」
「え? 最近あんまり会えないから元気にしてるのかなって」
何を当たり前のことを、とでも言うようにのほほんと一言。
「あ、お仕事の邪魔はしないで待ってるから、続けてて。あたしお茶でも入れてくるね」
呆然とする日番谷をよそに雛森はパタパタと一度執務室を出た。恐らく宣言どおりに茶を入れてくるんだろうが。
書類を放ってぼんやり空を見上げる。今は業務終了時間をとうに過ぎ、月明かりは僅かながらあるが、あたりは漆黒。所謂夜というやつで。それでもって、そんな時間にも頓着せず、雛森が日番谷の元を訪れようと考えると言う事は……
『男扱いされていない』。そして訪れた用件なんて、弟……いやむしろ『子ども扱いされている』ということで。
「…………」
分かりきっていることとは言えこうもはっきり行動されてしまうと、どうしようもないやりきれなさに襲われる。
この状態で暫く居座るであろう雛森と一緒にいる上に、いい加減面倒になっている書類の処理をしろというのか。
最早悪態も嘆きの言葉すら出ず、無言で日番谷は頭を抱えて。もう今日で何度目になるか分からない溜息を吐き出した。
after & side 雛森
少しだけ、イライラする。自覚はないが、雛森はその理由を何となく分かってた。
シュンシュンと蒸気を吐き出す薬缶をまるで仇でもあるかのように睨みつけながら、雛森はぽつりと呟いた。
「……あたしだって、気付かなかった」
それは先ほど十番隊執務室に入ろうとしたときの事。いつもなら姿さえ視界の届く範囲にないときにでも、日番谷は雛森を確認するよりも先に当ててしまうのに、今日は本気で間違えられてしまった。
いつもなら気付いて欲しくない時でも、足音や気配を殺しているつもりでも、間違えることなく気付いてしまうのに。
「本当にどうでもいいときばっかり気付いて」
別に今日が特別な時だったとかじゃないけど、悪戯しようとするときじゃない時にこうして間違えられてしまうのは、なんだかすごく悔しい気がして。
零れた言葉は、苛立ちをあふれるままに弾けさせる。
やがて、思い切りよく沸騰した薬缶を火から下ろして。いつもならきちんと少し冷ましてから注ぐお湯を、沸騰させたまますぐにお茶葉を入れておいた急須の中に注ぎ込む。こうするとこの種類のお茶は少し苦くなってしまうけど気にしない。
そりゃ……少しだけ、罪悪感がないわけじゃないけれど。
「日番谷くんが悪いんだからっ」
八つ当たりを最後に注いで。雛森は茶碗と湯を注いだ急須を盆に載せて、再び執務室に足を踏み入れた。
そうやって入れたお茶は、どうやら相当不味かったものらしく。一口口に含んだ日番谷の眉間に、一段と濃い皺ができる。
「……なあ雛森」
「なに?」
雛森当人としては何気なく自然に笑って答えた……つもりだったが、不自然に思ったのか日番谷の不機嫌な色は一段と濃いものとなる。
きっと『不味い』と文句を言われるだろうから、そうしたらちゃんと入れ直してこようと雛森は心の中でそっと決めて。心の中で『うん』と頷く。そうしたらきっとこの居心地悪さも消えるから。
祈るような思いで、難しい表情をする日番谷の口から次出る言葉を待ち受ける。
……が。
「なに怒ってるんだお前?」
出てくると思っていた文句ではなく、それは不機嫌さを含みながらも怪訝そうな色が強い問い。用意していたはずの答えが無意味に消えてしまって、代わりに出るのは動揺の隠せない返事。
「お、怒ってなんてないよ」
「嘘だな」
「嘘じゃないもん!」
にべもなく返される否定の言葉に、とっさに上手い返答など思いつける器用さもなくて、出てくるのは単純な言葉返し。
「何でそんなムキになんだよっ」
訳わかんねえ、と日番谷は荒々しく息を吐いた。拗ねたように雛森が口を閉ざすと、諦めたように――と言うより時間が惜しいと思ったのか、再び日番谷は書類に向かう。
それに安堵して、雛森もまた息を吐いて。
(なんで気付くのかなぁ……)
さっきは気付かなかったのに、やっぱりわかって欲しくない時ばっかりこっちのことに気付いて。そう思うと、収まりかけてたイライラがまたでそうになったけど。
ちらりと目をやった日番谷の顔には苛立ちよりも疲れが多く滲んでおり、その思いは簡単に流れ落ちる。
仕方ないなと申し訳なさに、結局困ったように表情が緩んだのは雛森が先。
コトリ、と机の上でした音に、日番谷が面倒くさそうに顔を上げる。
「……まだ残ってるぞ」
雛森が下げようとしているお茶の入った湯飲みを見てぼそりと一言。見上げる碧の瞳に雛森はいつものように微笑んで。
「うん。お茶、今入れ直してくるね」
苦かったでしょ? ごめんね。と謝るのに、日番谷はますます顔を怪訝そうに歪める。それがおかしくて雛森はくすくすと笑って。
「日番谷くんて、鋭いのかにぶいのかわかんないね」
「……は?」
なに言ってんだコイツ、とでも言うように日番谷が思いっきり顔をしかめるのをますます楽しそうに見て。雛森は「内緒だよ」とお茶を抱えて、淹れ直すために退室する。
ようやく謝れたことですっきりして、足取りも軽く雛森は給湯室へ向かう。
ほっとしてしまうとなんだか安心して、どうしてあんなに怒っていたのかも不思議な気がして、雛森は首を傾げた。
「なんでこんなことになったのかな?」
一人再び執務室に残された日番谷は大きく溜息をついた。こっちの苛立ちも知らず能天気にずかずか自尊心傷つけていた奴が、勝手に怒って勝手に機嫌直して。挙句に渋い茶を飲ませて、謝られて。
「わけわかんねえ……ていうかアイツに鈍いなんて言われたくねえっての」
釈然としない思いを抱えながらも、残り僅かとなった書類に目を通して。それまでで一番大きな溜息と共に印を押した。
「何でこういうことになったんだよ」
苛立ちの方向が、一つだけではなかったことを知っているのは、今はまだ一人だけ。
れいによって、こまのイラストからの妄想副産物ですv(いいかげんにしろ)元絵はまた後日……(すみません;)
だらだら書きたいことだけ適当に書きました。行き当たりばったりに書いていたら、構成力の無さがもろに出るといういい見本ですね。この後市丸隊長サイド有った気もしますが力尽きたのでパス。
ええと。考えてたの言ってしまうと、この忙しい事態に陥ったのも、雛森が日番谷の元に夜行ったのも全部市丸の計略です。因みに雛森が日番谷のところに行った理由本文中では「最近顔見ていないから」ですが、本当は「市丸に怖い話を聞かされて夜一人でいられなくなったから」という裏話が(本音と建前)どっちにしても日番谷男扱いされてません。
……ああ、馬鹿です。馬鹿ですとも(自棄)
2004/06/24〜27 初出 【出雲 奏司】